柵原ふれあい鉱山公園を後にして和気まで帰ります。ルートは後半の塩田あたりからは自転車道を戻ることになります。それまでは、本来の鉄道跡を探りながら進んでいくことにします。
柵原ふれあい鉱山公園を12時半頃スタートしました。しばらくは吉井川左岸沿いに県道を進み、坂を上ったあたり、飯岡下の西側からお墓の方へ(村の中へ向かって)進みます。
すると、鉄道跡の橋台に出会います。その向かいは墓地ですがその端の道のようになっているところから続いているように見えます。
たどっていくと、それらしき跡が鷲山の南側裾野を進んでいます。人家の裏側に入り込んでいるので、きっちりとは追跡しませんでした。真ん中の写真の山裾から「木が特徴的な駅跡」にやってきているようです。この駅は、調べますと飯岡駅跡とのことです。二つのプラットフォーム、しかも一方はけっこう長い、村からはそれなりに離れている、どんな役割を果たしていたのでしょうか。
鉄道は、吉井川の堤防に上り写真の橋を渡っていきます。近道とされていた橋です。
川を渡った鉄道は、けっこうまっすぐ進んでいます。途中、真ん中の写真のようなものを見つけました。鉄道関連のものかどうかはわかりませんが、苦木駅のものと似ていたのでシャッターを切りました。
福田あたりで、ゆるく大きくカーブをきり、吉井川を渡っていきます。右の写真は福田の対岸の堤防です。ちょうど少し盛り上がったあたりを横切って続いているようです。その後は、下の写真です。
ど真ん中に電柱が建てられていますが、橋台や盛り土の跡がしっかりと残っています。近づこうとしましたが、バリケードがおかれていたので引き返しました。鉄道跡らしき続きは、国道からも見えましたので、ズームで撮影しました。
けっこうわかりやすく残っています。ここが自転車道にならなかったのは、様々な事情があるのだろうかと・・・推測します。
左の写真の軽トラの所を通って、塩田のコミュニケーションセンターにたどり着きます。ここからは、来た道です。ここで、鉄道跡探しは終了。朝、見逃していた陸閘門(ここでは下流からの浸水を防ぐ目的だとのこと)とそこにあったレールの跡を撮影して和気駅をめざします。
益原あたりで、突然、鳥が飛来してきました。あわててカメラを取り出して、バタバタとしているうちに飛び立っていきました。和気まであと少し、私も出発です。和気駅にほどなく到着し、自転車をたたみました。
帰りの、5キロごとの平均速度は、5.7 10.2 15.0 17.2 13.7(㎞/h) 約2時間と少し程度でした。和気駅には14時半頃到着でした。
行き(その2)と帰り(その3)を合わせた走行距離は57.5㎞ 累積上昇239mでした。